持続可能性の先にある非合理的選択をする自由


合成性を求める部分と求めない部分


友人などとの会話などなどから合理性について考えることが多くなってきた。
普段何してるの? そんなことしてるんだ、とかw

アーリーリタイアやセミリタイアを検討する中では合理性を優先して目標へ進むのが普通な行動だろう。

持続可能性は、生活が続けられることとも言い換えられる。その前提が資産だろう。

そして持続可能性が得られると確信したことの結果として退職などを選択する。


アーリーリタイアの特異性

定年退職など特定の年齢層から離れた年齢層で無職(や個人投資家やシュフや家事手伝いになる)ということで異質な存在。

アーリーリタイアをする場合、社会との接点は基本的に完全な個の世界からの延長線上である。

趣味や場(家なども含む)の共有が可能なところ以外の接点はなくなる。



セミリタイアというのはどういうことなのか

アーリーリタイアとの最も大きな相違点
  • セミリタイアでは労働して対価を得ることを前提とする


無職よりは響きがいいかもしれないパート・アルバイトなどの称号がもらえるw



仕事を辞めて、労働をすることを選択する


お金のために雇われて働かない前提で退職して、労働することを選択する。
幾ばくかの労働を前提にしているが、対価に関する合理性・効率は優先されないのだろうか?

「リタイア」という観点では「雇われて働かない」ということなら、不足を充足するためであるならば合理性を優先した方が良いのでは?と思っていたが、労働そのものを否定するわけではない?



行動に色を付け過ぎなのか?


アーリーリタイア・セミリタイア・定年退職など、どのようなリタイアであってもその区切りから差において時間をどのように使うのか。
行動で他人から見て意味が分からないものとしては暇つぶしや趣味とかだろう。

暇つぶしってなんだろうと自分を振返り、自分の時間の使い方の中で雑誌や本やネット記事などを読んだりテレビを見たりゲームをしたり調べものしたり運用状況をチェックしたり、ペットと遊んだり、献立考えたりw 宝くじ買いに行ったり、買い物などでウロウロして過ごしていることを考えると他人と関わる時間は極端に少ない。妻も居るしペットも居るから私にとって一人の時間が問題でもないんだけど問題になる人も居るのではないか。

社会や他者との距離感・繋がりを構築や維持するために就労という手段を活用出来るわけで合理性だけが優先されるものでもない部分があるのかと、今更ながらに気が付いた。

趣味や暇つぶしをすることまで合理性を追求してどうする。

セミリタイアとして基本的な持続性を実現した上では、労働を含めて持続可能性を毀損しない限り、行動に様々な合理性を求めるのは違うのかもしれない。

そもそも持続可能な自由なのだ。

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プロフィール

Colorless Freedom

Author:Colorless Freedom
守るものには最大限の保護と愛情を注ぐが、危害や迷惑をかけられる可能性のあるものには無慈悲 & アーリーリタイアー
職業:ネコの下僕 

Felixキャットフードは日本でも発売され始めました。うちのムスメに老猫用を食べさせています。

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